僕と僕

 虚無感が僕をむしばみ、現存在が制御不能になるときもあるが、強制的に日常から自己を逸脱させることで、頑張ること、努力することが、美化され、目的化するせわしい現代の中で、自分の存在の本質を問い直す機会を得ることができたというのは考えすぎな気もするのであるが、自己の存在の意味を紡ぎだす行為が空回りして、自意識に飲み込まれ、自己が分裂することがよくあるのであり、一度こじれだすと、何とかせねば、何とかして、完璧主義を我が世界にもたらし、秩序を取り戻さねばという焦りが焦燥感を生み、ますます自己の分裂を加速させるのである。その悪循環にはまり込んで緊張の糸が切れ、分裂してしまった自己はもはや制御不能で、暴飲暴食、過眠という嵐に飲み込まれるのであるが、なすすべがなく、ただ僕は、荒れ狂う僕とともに存在するしかないのである。荒れ狂う僕は、攻撃的で、衝動的で、積極的で、外交的で、まるで、僕とは正反対の人格の持ち主である。ただ、シャイだが、音楽とダンスが好きだという点では、どちらも共通している。なぜなら、今の僕が、荒れ狂う僕について書いているときに、何かを食べて、気を紛らわそうとしているからであり、おそらくその行為を生成しようとした意思は、僕をあらわにされたくないという願望からきているのだと感じるのである。僕が人間になるには、日々抑圧している僕を僕に統合する必要がありそうだ。無機的、機械的人間に陥ることから僕を守るものは、まぎれもなく、影の僕なのだ。それは、感情体であり、理性とは無縁の世界で伸びやかに生きていて、到底社会になじめそうにないが、僕が僕を取り戻すには、その僕がどうしても必要なのである。どうか僕に力を貸してくれませんか。