神という概念

神様が見ているからっていう言葉は、外的評価が全く得られない絶対状況で、自己の行為に自己以外の自己を超越した第三者がこれから行おうと考えている行為に意味を持たしえると考えるのであり、もし、神という概念が使用禁止なら、人間は、絶対状況で無力感にさいなまれ、何をもなしえる勇気を得られやしまいかと無神論者の僕は、最近思うのである。かといって、神に祈りをささげようとは思はないのは、神の存在も不在も証明できないからであり、神という実在に納得できないからだ。僕はあくまで、神という概念に付随する信じるという行為に共感するのであり、不確定な未来に進むとき、信じるという行為によって自己の行為に意味を生成できるか否かで自己が取りうる未来、すなわち、実現しうる自己の可能性が異なると考えるのである。