自己同一性

僕の構成要素。僕の自己同一性。仕事と趣味。自己崩壊リスクを下げるための、バランス。僕が僕であり続けるための揺らぎ内物差し。誰も奪えない僕の中のもの。僕だけのもの。僕を心の底から温めてくれるもの。僕のリズム。僕の呼吸、体、存在から醸し出されるリズム。僕というリズム。誰も僕のリズムを止めれない。僕はリズムを打ち続ける。僕であり続ける。

親と愛

親に嘘をついた。このもやもやから解放されたい。罪悪感。親を利用するだけ利用する。ずるい?汚い?親との関係は潔白であるべき。純粋な愛の関係。でも、それは幻想。親は他人。そう考えるのは、ドライ?家族愛は、真?愛に真偽はある?愛に善悪はある?めんどくさい話は聞き流して、使えるとこは使う。絞り切れるまで徹底的に絞り切るのは、もはや、復讐の域に達しているようで、よくないと思うし、そんなことを考えてる自分が嫌いだ。愛から遠ざかってるようだ。もう純粋な愛に触れることはできないのだろうか。ロマンチストからリアリストへ。人間は、誰かの子であり、誰かの親になり得る。全人類が、僕のようなことを考えたら、この世界から、愛が消えうせ、猜疑心と虚構の愛がはびこるだろう。形式的な愛。記号的な愛。儀式的な愛は、愛なのか。思考と本能。人間って何なんだ。ってなことを考えながら、底なしの空虚感に苛まれるのである。

私は揺らぐ

私でない人の問題を私事として考えるとき、私は私なのか。その間は、私でない人ではないのか。私であることを自覚した私が、私でない人のことを考えているが、いつの間にか、私のことのように思えてくるとき、私はもう私でないような気がする。空気のようにとらえどころがない私。外部から風が吹くと途端に揺らぐ私の輪郭。

 

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今日の反省

僕はプライドが高い。できないことをばらさないように、できないことをできないと言えない。すごいと言われたいから、出来ないことをしたがる。そのくせ、不安と責任を感じやすい。悲観的に物事を見る。そして、ある時、自爆する。まれに、たまたまできてしまう。できないときは、相談すべきだ。プライドを捨てよ。できないと言え。できないことを認めて、勉強せよ。

安全地帯

近くにいる人とは仲良くしなければならないと思い込むのはなぜか。意見を合わせなければいけないことが良しとされるのはなぜか。物理的な距離、たまたま近くにいるというだけで、なぜ、仲良くしないといけないという決まりがあるのか。あるいは、それをよしとする風潮があるのか。おかしいことをおかしいと言えないのがおかしい。しかし、それよりも、おかしいと感じても、誰ともおかしさを共有できないことが苦しい。自分の悩みを吐き出して、その悩みについて考える他者を観察して、僕の悩みを客観的に見れない。誰が正しいのか。僕は正しいのか。正しさとは何か。其の組織にいる人が正しいと感じることは正しいのか。それを正しいと信仰する周りの人間が気持ち悪い。上に気に入られるためだけの行為。手を動かすことを考えることであると誤解している。手を動かす自分に酔っている。物を作れる自分に。これは有能な人への嫉妬なのか。僕に問題があるのか。僕の違和感は正しいのか。無視すべき違和感なのか。守るべき違和感なのか。違和感の処理法が分からない。これは、職場だけでない。家族についてもいえる。血がつながりがその他者と意見を一致させることが良しとされる風潮があるのはなぜか。親と仲が悪いことがよい人間とされないとはなぜか。なぜ少し血がつながっているというだけで、仲良くしなければならないのか。自分に罪悪感を感じるほど人を嫌いになったことは今までにないので、非常に戸惑っている。人に無関心でいることができなくなったのはなぜなのか。僕は、先輩のように何でもできるような願望を抱いているから彼らに嫌悪感を抱く、願望嫌悪。所詮僕は下町の人間であることを思い知らされるから家族に同族嫌悪を感じのか。会社では、願望嫌悪にむしばまれ、家では、同族嫌悪にむしばまれる。居場所がない。僕よりできる人はもっといるし、出来ない人ももっといる。いちいち周りの環境に振り回されていては神経が磨り減る。心の中に家がいる。その家があるという安心感が僕に心の余裕を与えてくれるかもしれない。正しさについてどうこう考える前に、安全地帯が必要だ。周りにいる人や家族と精神的に距離を置くための安全地帯。